「魔球の正体」という本がありました。
高校生の時に面白く読んだことを思い出します。確かジャイロボールの話だったような…
さて「人気」(オッズ)とはどういう存在であり、競馬で勝つためにはどう付き合っていけば良いのかを少し書いてみたいと思います。
「超競馬考」でも記しましたが、競馬が配当を得るゲームである以上、予想を組み立てる上で人気(オッズ)の要素を加味しなければ最適の戦略とはなりません。つまり「人気が走るわけではない」と各馬の絶対的能力比較に終始している予想は(回収率を上げたいと思うならば)不完全であるということです。配当や回収率を気にせず、単に勝ち馬当てゲームを楽しみたいのならば各馬の絶対能力比較に終始すれば良いと思います。本命馬の好走率をとにかく上げたいと思うのならば、全てのレースで1人気を本命にすれば良いだけです。間違いなく高い好走率が得られるでしょう。
しかしそれらのアプローチが、競馬での勝ちに直結しないことは明らかです。勝つためには「好走しそうな馬」ではなく「妙味のありそうな馬」を探す必要があるのです。
「人気」とどう付き合うか。例えば2019年の安田記念でアーモンドアイは単勝1.7倍の支持を集めながら3着に敗れましたが、絶対能力の比較をすれば何度予想してもアーモンドアイが本命で揺るぎなかったでしょう。一番勝つ可能性が高かったのはアーモンドアイであると今でも思います(むしろレースを観た今だからこそでしょうか)。予想家としてテレビに出るとか雑誌に寄稿するとか、とにかく大外しをしたくないと思うのであれば本命アーモンドアイのパネルを掲げておけば大怪我をしなくてすむのは明らかです。しかし、そのような人気の要素を加味しない予想では勝てないのです。
アーモンドアイが一番強いという前提のもとであっても、単勝1.1倍であるのと単勝10倍であるのとでは馬券的な意味合いが異なって当然なのです。むしろこの2種類のオッズパターンを「人気が走るわけではない」と、区別することなく同列に扱うのは間違っていると断言できます。
オッズは「世間が思う好走率」の裏返しです。「世間が好走しそうと思う馬」には利益が少ないとも言えます。また当然、世間が思う好走率と実際の好走率は一致しません。些細な不利は無数にあり、現実の競馬は世間が思うほど実力通りの決着になりません。
僕がなぜこれほどまでに「絶対能力比較至上主義から脱却すべき(オッズも加味すべき)」と強く主張するかを、もう一度競馬というゲームの仕組みから説明しておきましょう。
皆さんが的中時に手にする配当はどこから来るのでしょう?JRAでしょうか?いえ、正確には馬券購入者です。ひとりひとりの馬券購入額が巨大なプライズプールを形成し、JRAはそこから控除額を抜いて的中者に再分配するだけです。
つまり、的中者全員にJRAが配当をプレゼントしているわけではなく、プライズプールの上限額は決まっているのです(そのため的中者が多ければ当然配当額は小さくなります)。的中率向上がゴールではないとはそういう意味です。つまり、競馬というゲームはプライズプールの取り合いが本質です。的中者全員が幸せになれるという生易しいシステムではなく、いかに他者を出し抜いて一人勝ちできるかが鍵になります。正解者全員に賞品プレゼント!というようなゲームとは根本的に攻略法が異なるわけです。
そう考えれば「世間の盲点となっている部分を積極的に狙う」ことが勝ちへつながっていくと分かります。世間の大半が負けているゲームをしているのに、世間の大半と同じ湯船にタプタプ浸かって配当を待っていても勝てるはずがないですよね。利益の大きくなりやすい「一人勝ち」を狙うべきなのです。他者を出し抜く馬券を考えるべきなのです。「妙味のある馬を狙う」とはこういうことです。もちろんこの実践は容易ではありませんが、追究すべき命題はここで間違いないと思っています。
競馬というゲームを深く理解すれば、細かな選択に自信をもって臨むことができるはずです。